yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー

「大学への数学」執筆者・吉田信夫の数学探求ブログ(共通テスト系問題の研究報告)

∞を1つの式で表してみた

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真ん丸の眼鏡を最近買った私が,2円を合わせてできる∞を1つの式で表すという企画です.
「∞は“眼鏡には無限の可能性がある”ことから作られた記号だよ」と説明すると,だいたいスゴイ空気になります(笑)

さて,本題.
あやしいのは,明らかに(1)です.複雑すぎます.
それは後でやることにしましょう.

(2)は分かりやすいですね.

  x≧0の部分:(x-1)^2+y^2=1
  x≦0の部分:(x+1)^2+y^2=1

を表すのに

  |x|=x(x≧0のとき)
  |x|=-x(x≦0のとき)

を利用しています.

次に,(3)は極方程式です.

  r=2cosθ(0≦θ<2π)

が円:(x-1)^2+y^2=1を表します.
ただし,2周するのですね.
ちょっと確認しておくと,

  (x,y)=r(cosθ,sinθ)

なので,

  x=2(cosθ)^2,y=2sinθcosθ

 ∴ x=cos2θ+1,y=sin2θ

です.

  (x-1)^2+y^2=(cos2θ)^2+(sin2θ)^2=1

となるのですね.

 0≦θ≦π/2のときはx≧0,y≧0の部分
 π/2≦θ≦πのときは,r≦だから,x≧0,y≦0の部分
 π≦θ≦3π/2のときもr≦で,x≧0,y≧0の部分
 3π/2≦θ<2πのときはx≧0,y≦0の部分

になっています.
r≦0になるπ/2≦θ≦3π/2の部分でr≧0になるように

  r=2|cosθ|

に変えると,

 π/2≦θ≦πのとき,x≦0,y≧0の部分
 π≦θ≦3π/2のとき,x≦0,y≦0の部分

に変わって,2円を表せます!


では,最後.ナゾの(1)です.

複雑な(-1)^●の部分を見なかったら

  y=√(1-(|x|-1)^2)

で,2円の上半分の半円を合わせた図形です.

  y=-√(1-(|x|-1)^2)

なら,下半分2つを合わせたもの.

(-1)^●は,●が偶数だと1で,奇数だと-1です.
●部分は,ガウス記号を使って書かれています.

  [x]=(x以下の最大の整数)

です.

  [2028x-2[1024x]]

は,少しややこしいのですが・・・

・0≦x<1/2048のとき,

  0≦1024x<0.5,[1024x]=0
 ∴ [2028x-2[1024x]]=0

・1/2048≦x<2/2048のとき,

  0.5≦1024x<1,[1024x]=0
 ∴ [2028x-2[1024x]]=1

・2/2048≦x<3/2048のとき,

  1≦1024x<1.5,[1024x]=1
 ∴ [2028x-2[1024x]]=0

という風に,区間ごとに0,1を繰り返します!
だから,2円の上半分,下半分,を交互に繰り返すグラフになります!

関数の形(y=f(x))では,1つのxに対してyは1つに決まるので,∞を表すことはできないのですね・・・
繰り返し幅を0にして,もっと∞に近いグラフを作ることも可能ですが,完全なる∞にはなりません.
(例えば,xが有理数なら1,無理数なら-1などとします)

ガウス記号,絶対値記号を駆使すると,面白い曲線が描けそうです.
続きはまたの機会に!

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空間での直線に関する対称移動で,円を円にうつす!

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移ったあとの円は(2,0,0)でx軸に接するそうです.
その円の中心は??
xy平面にあるとしたら,(2,1,0)または(2,-1,0)です.

xy平面をxy平面に移す変換になるのは,lがxy平面と垂直,または,lがxy平面に含まれるときでした.
 👇

空間で直線に関する対称移動をしてみる - yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー



●垂直●
lとxy平面の交点に関する対称移動と同じになるのでした.
適するのは,その点が原点Oと中心の中点,つまり,(1,1/2,0)または(1,-1/2,0)のとき.
lの方程式は,

  「x=1 かつ y=1/2」 と 「x=1 かつ y=-1/2」

●含まれる●
xy平面内の直線lに関する対称移動では,xy平面の点はxy平面の点に移ります.
lが,原点Oと中心を結ぶ線分の垂直二等分線のとき,適するものになります.
lの方程式は

  「x^2+y^2=(x-2)^2+(y-1)^2 かつ z=0」
  と
  「x^2+y^2=(x-2)^2+(y+1)^2 かつ z=0」

です.少し整理すると,

  「4x+2y=5 かつ z=0」
  と
  「4x-2y=5 かつ z=0」

です.

●平行●
このような直線に関する対称移動では,xy平面は,自身と平行な平面に移ります(xy平面ではない!).
xy平面上の単位円が,x軸上の点(2,0,0)を含む図形には決してなりません!

●一般的な配置●
上記以外のとき,という意味です.

lと平面の交点をAとすると,対称移動でAは変化しません!

次に,平面内で,Aを通ってlと垂直な直線mの像はm自身になると分かりますか?

そして,lをxy平面に正射影して得られる直線をl’とします.
l’は,Aを通り,mと垂直な直線です.

lに関してl’を対称移動して得られる直線l”も含みます.
l”がどんな直線かというと・・・

ということで,xy平面の像は,「mとl”を含む平面」ということになるのでした.
一般的な配置(「平行,垂直,含まれる」ではない)ときは,像である平面は,xy平面ではないですね!

ここまでが一般論.

今回は,「xy平面上の単位円を移すと,x軸を含む平面内の円になり,しかもx軸と(2,0,0)で接する」という条件を考えます.

そんなlが存在するとしたら・・・

まず,上記のmがx軸になります.
元の単位円は,この直線mと2点(1,0,0),(-1,0,0)で交わっています.
mは全体として不変なので,移動後の円も,mと2点で交わるはずです.

しかし,移動後の円がx軸(つまりm)と1点(2,0,0)で接するようなものを考えています.

これは矛盾になっていますから,そんなl,つまり,単位円を移動してx軸に(2,0,0)で接する円にする直線,は存在しません!


ということで,適する直線は4本だけでした!

前に書いたのと同じく,空間図形を扱うときは,図形見えなくても,「こう決まったから,こうなんだ」という割り切り(?)も必要になります.

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「数学する人生」岡潔著・森田真生編 ⑤ =岡潔がピカソを語っている=(岡本太郎のピカソ論と対照的?)

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少しずつ岡潔ワールドの一部が見えてきたような,見えていないような.
私の言語化プロジェクト(実際は備忘録)も5回目.
そろそろ終わりかなと思いつつ,もう少しだけやらせてください.


ピカソと無明」

そんなタイトルの項がありました.
岡崎でのピカソ展に行って感じたことを書いています.

そういえば,私の好きな人に,岡本太郎さんが居ます.
彼もピカソのことをよく書いていました.
同じく,私の大好きな存命の素敵な方も,ピカソがお好き.

私もピカソ好き.

ピカソは古代人のような感性を持っているように思うからです.
縄文時代のモノが大好きな私ですが,あの感じがあります.
縄文からアニミズム的な感じを取り除いて,代わりにエロスをいっぱいにした感じ.
本能的なものがストレートに表されている.

一方,知的な面もあるように思います.
対象に興味をもったら,いったんそれを連続的に変形して,自分の好きな状態にし,画面に再現している感じがします.
トポロジカルな感じがします(元の対象とイソトピックだったり,同相だったり).
境界線を追いかけていると,すごくスムーズで気持ちいいです.
もちろん,作風が恐ろしく多様なので,こんな陳腐な説明ではぜんぜん言い尽くせないですけど.

岡本太郎は,縄文土器火焔土器)に感動して,縄文を再現しようとしていたようです.
太陽の塔なども,土偶を作っていたと思うと,理解しやすい面があります.

では,岡潔は,ピカソをどう感じたのか?

『「無明(むみょう)」が実によく,実に恐ろしく描かれていた』
『無明とはこんなに恐ろしいものかと,しみじみ考えさせられると同時に,さすがは世界的な巨匠の絵だと感心した』

ということだが,『一枚一枚立ち止まって丹念に見る気にはなれず,ましてもう一度見直す気もしないまま,せいぜい三十分ぐらいで会場を出た』そうである.

ところで,「無明」とは?
ちゃんとした定義は本書から見つからないですが,説明を拾っていくと

・自我の本体(自我は自他を区別する類のもの)
・自分本位のセンス
・生きようとする盲目的意思

とのこと.
ここでいう「生きる」は,その先に「死」があるという意味のものと思われる.
生物というときの「生」.
つまり,全宇宙とつながっている「生」ではなさそう.

一緒にピカソを見た若い人たちの「ものすごく生きている」という感想を,「いまの若い世代はのた打ち回ることを生きていることと思っているらしい」と,彼は解釈している.
岡崎で見たピカソ展には「女性と馬がものすごい勢いでのた打ち回っている状態を表した絵」がかかげられていたそうだ.
だからこそ,無明をよく表している絵だということ.
しかし,

 『これは美とは言えないと思う』

岡潔は述べている.
この言葉が,私は妙に引っかかった.

岡本太郎は,「今日の芸術は,うまくあってはならない,きれいであってはならない,ここちよくあってはならない」と言い,この無明の現れこそを「美」と捉えていたように思う.
縄文からビッシビシと感じるアニミズム感.
奇祭での炎と裸体のぶつかりから感じる魂の高ぶり.
命がけのチャレンジでの高揚感.
そのようなものを「美」と呼んでいたと思う. 

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  👆
岡本太郎の版画(私物)です.
岡本太郎もなかなか面白いです! 
  👇


上に書いた私の感想は,岡潔に言わせると,知的・視覚的な見方で,情緒的には見ていないのだろう.
情緒で見たら,気持ちいい絵ではないぞ,と.
伝わってくるのは自我だけじゃないか.

一方で,太郎には「自我を爆発させるのが芸術だよ.それこそが美じゃないか」と言われそう.

まったく逆の感覚であると思うが,どちらが正しいというものでもないような気がする.
僕は個人的に,岡本太郎の感覚に賛同するけれど.

岡潔は,以下のように締めくくっている.

『無明がどんなに恐ろしいものか,どれだけ知っても知り過ぎることはないだろう.その意味で,わたしはピカソの絵を見るようにおすすめする』

空間で直線に関する対称移動をしてみる

先日の,空間内での円の接線の話は,無事に解決しました!
     👇

接するって,どういうこと? - yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー



接する系の話もまた書くとして,今回は,対称移動を空間でやってみる話です.

 

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●平行●
例えば,lが「y=0 かつ z=1」とすると,xy平面の像は?

x軸が「y=0 かつ z=2」に移りそうです.
一般には(a,b,0)は(a,-b,2)に移ります.
像は,平面z=2です.

いずれの場合も,像は平面です.どんな平面かを考えていきましょう.

●垂直●
例えば,lが「x=0 かつ y=0」とすると,どうでしょう?
z軸に関する対称移動です.

これは,xy平面の点の移動だけを考えると,原点に関する対称移動と同じです!
(a,b,0)は(-a,-b,0)に移って,xy平面の像はxy平面です!

垂直な直線は,適するものになります!

●含まれる●
xy平面内の直線lに関する対称移動では,xy平面の点はxy平面の点に移ります.
これは問題ないでしょう!

含まれる直線は,適するものになります!

●一般的な配置●
上記以外のとき,という意味です.
これは,イメージしにくいですよね.

まず,自明なこと.
lと平面の交点をAとすると,対称移動でAは変化しません!

次に,平面内で,Aを通ってlと垂直な直線mの像はm自身になると分かりますか?
m上の適当な点Bからlに引いた垂線の足はAであるから,Bのlに関する対称点は,Aに関する対称点と一致し,その点もm上にあるのです.

そして,lをxy平面に正射影して得られる直線をl’とします.
l’は,Aを通り,mと垂直な直線です.
l’の像はどうなるでしょうか?

lとl’を含む平面Pを考えます.
Pは,Aを通ってmと垂直な平面です.
lに関してl’を対称移動すると,P内の直線l”になります.
l”がどんな直線かというと・・・

 l’とl”のちょうど真ん中をlが通っている

という配置になりそうです.
角の二等分線でになっていますね.

ということで,xy平面の像は,「mとl”を含む平面」ということになります.
一般的な配置(「平行,垂直,含まれる」ではない)ときは,像である平面は,xy平面ではないですね!


空間内での対称移動はイメージしにくく,このように文章だけで書かれても分かりにくいかもしれません.
ですが,

  「平面を決定するには,何が決まればよいか?」

という意識があれば,特定は可能だと思います.

  「3点」
  「1点と1次独立な2ベクトル」
  「1点と法線ベクトル」
  「含まれる2直線」

図をイメージできなくても,定性的に,情報をもとに「これしかないと特定する」という発想は大事です!
見えなくても,「こう決まったから,こうなんだ」という割り切り(?)も必要になります.

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接するって,どういうこと?

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自信満々ではないですが,2),3)は接していないと思います.
曲線と曲線が接するというのは,(微分できるという前提のもとでは)共有点で速度ベクトルを共有している状況であると思うのです.
多様体での接空間も,多様体の次元と同じだったはず)

だから,空間内で「円の“接平面”」は考えないのではないか.

では,「球面の“接線”」はどうなんでしょう?
これについては,「接平面に含まれて,接点を通る直線」として定義できるから,問題ないのかな,と思っています.

たぶん・・・

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「数学する人生」岡潔著・森田真生編 ④ =岡潔と仏教=

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読み込んで少し岡ワールドが見えてきたような気がするのですが,たぶん勘違いなのでしょう(笑)
天才が何十年もかかって到達した「数学は情緒」ですから.
私の理解を深めるための言語化プロジェクト.
備忘録みたいなものですが,公開するつもりでないと書かない!
ということで今回が4回目.

 

岡潔の仏教の世界へ.

ものには生の一面と死の一面があるそうです.
目に見えるところだけを見ていると,すべてには「終わり=死」があります.
けれど,「生≠生きている」です.
現象としての「生きている」ではなく,命の根源としての「生」.不生不滅.
「見る」ことで分かるのは,「死」だけ.つまり,現象だけ(死のあるもの).

では,「生」を知るには?

 右の内耳に関心を集めよ

と彼は言っています.
右の内耳に関心を集めて,聞こゆるを聞き,見ゆるを聞くこと(見る,でない!).
精神集中.
弱いものからはじめて強きに至りなさい.
軽いのからはじめて,浅い統一にし,だんだん増していけばよい.
観音菩薩は,この一つの修行だけで不生不滅を悟ったと言われているそうな.

ちょっと宗教じみてきましたね(笑)
私も悟りを開いてしまおうかな,と思っているところです.

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ではなぜ,岡潔は仏教に傾倒していったのか?
本文を引用してみる.

『太平洋戦争が始まったとき,私はその知らせを北海道で聞いた.その時とっさに,日本は滅びると思った.そうして戦時中はずっと研究の中に,つまり理性の世界に閉じこもって暮した.
ところが,戦争がすんでみると,負けたけれども国は滅びなかった.その代わり,これまで死ねばもろともと誓い合っていた日本人どうしが,われがちにと食糧の奪い合いを始め,人の心はすさみ果てた.私にはこれがどうしても見ていられなくなり,自分の研究に閉じこもるという逃避の仕方ができなくなって救いを求めるようになった.生きるに生きられず,死ぬに死ねないという気持ちだった.これが宗教の門に入った動機であった.』

純粋な岡潔の心が耐えられなくなって,仏教を自然に求めた様子が分かります.
特に,道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」にどっぷりとはまったそう.
正法眼蔵は,ちらっと見ても,さっぱり意味不明です.

本当に,何が何だか,さっぱり分かりません.
おそらく岡潔もそうだったのだろうと思います.
それが・・・
ある日,突然,すべてが分かってしまう経験をしたようです.
何が分かったのかは分からなくても,すべてが分かったという感覚・・・

それが,「情緒で分かる信解」という彼の主張につながっているように思います.

 「智ある者,若(も)し聞かば,即(すなわ)ち,よく信解せん」

正法眼蔵にあるそうです.
「見らば」ではなく「聞かば」なんですね!

岡はこんなことも言っています.
『法界のみが実相界であって,社会や自然界は仮象界である,真善美妙は法界にしかない.私は真善美は「実在」であるが,妙(宗教)は「必要」だと思っている』

こういった心の部分を説明してくれるものは「仏教しかない」のだそうです.
仏教に傾倒しているように見える岡潔ですが,しかし,そうばかりではないようです.
面白い記述があったので,引用して,本稿は終わろうと思います.

『宗教の世界には自他の対立はなく,安息が得られる.しかしまた自他対立のない世界は向上もなく理想もない.人はなぜ向上しなければならないか,と開き直って問われると,いまの私には「いったん向上の道にいそしむ味を覚えれば,それなしには何としても物足りないから」としか答えられないが,向上なく理想もない世界には住めない.だから私は純理性の世界だけでも,また宗教的世界だけでもやっていけず,両方をかね備えた世界で生存し続けるのであろう.』

悟りを開いた「如来」でなく,修行中の「菩薩」でありたかったのかも知れませんね.
今回は数学の“す”の字も出てきませんでした(笑)

 

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空間内でのちょっと変わった方程式を考えてみました②

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 👆
前回の円について
  |x^2+y^2+z^2-1|+|x+y+z|=0
という書き方も可能,と友人からメッセージをもらいました.
確かに!

今回は最初から()^2+()^2=0の形にしておきました.
これが表す図形は,

  x^2+y^2=z^2 と y+z+1=0

の共通部分.
2つ目は平面を表していますが・・・

1つ目はいったい??

左辺は,円のような雰囲気です.
よく分からない図形は,断面を考えるに限ります.

例えば,z=1という平面での切断面は

  x^2+y^2=1 かつ z=1

で,中心が(0,0,1)で半径が1の円です.
z=-1でもほぼ同じですね.

z=2での断面は

  x^2+y^2=4 かつ z=2

で,中心が(0,0,2)で半径が2の円です.

半径がzの値と等しくなるようです.

ということは??

  x^2+y^2=z^2

は円錐を表しているようですね!
原点が頂点で,上下に,どこまでも続く円錐です.

また,平面x=0での切断面は

  y^2=z^2 かつ x=0

 ∴ (y=z または y=-z) かつ x=0

で,原点を通る傾きが±1の2直線です.
この直線をz軸のまわりに回転して得られる円錐ということもわかります!

  x^2+y^2=z^2 かつ y+z+1=0

は,円錐を,母線の1つ「y+z=0 かつ x=0」と平行な平面y+z+1=0で切った断面なので・・・

放物線になっています!

円錐を平面で切った断面は,一般に2次曲線.
今回はそれが放物線になります.

ちょっと式でもやってみましょうか.

x^2+y^2=z^2にz=-y-1を代入すると

  x^2+y^2=y^2+2y+1 ∴ 2y=x^2-1

「おっ!放物線!!」と思った人,ちょっと先走り過ぎです.

正確に説明します.

  x^2+y^2=z^2 かつ y+z+1=0

 ⇔ 2y=x^2-1 かつ y+z+1=0

と意識しましょう.
空間図形の方程式として,

  2y=x^2-1 …①

は放物線ではないのです!

  {(x,y,z)|2y=x^2-1}

ですから,z=kの平面での切断は,ぜんぶ同じ形の放物線なのです.
だから,①が表すのは,

  放物線“柱”

です!
その底面が,

  2y=x^2-1 かつ z=0

です.

その放物線柱を平面y+z+1=0で切断して得られる放物線が,今回のこたえ.

  (円錐を平面で切った図形)

 =(放物線柱を平面で切った図形)

 =(放物線)

ということ.
放物線柱を斜めに平面で切って得られる放物線.
その放物線を,xy平面に正射影して得られる放物線が

  2y=x^2-1 かつ z=0

です!

空間も,式で捉えられるようになると,案外,見えるものかなと思います.

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「数学する人生」岡潔著・森田真生編 ③ =“分かる”とはどういうことか=

「数学は情緒」で有名な岡潔についての本.
さっぱり分からないところを飛ばしつつ(笑),2周目の途中.
特に気になったところを,自分の言葉にして理解を深めようとしています.
今回が3回目.何回続くか?

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本当に「分かる」とはどういうことか?

 

 

例えば,ポアンカレの「証明の隅々までハッキリわかる」という分かり方,は“余計なこと”だという.
「鏡に影を映す」だけだから.「親しく会取」したに過ぎないから.
そういう分かり方(頭,目,論理での理解?)では,「発見の鋭い喜び」は伴わないものだ,と.

裸で街を飛んで帰ったアルキメデスは「発見の鋭い喜び」を感じていたはずだ.
ちなみに,「発見の鋭い喜び」は,『まるで砂糖分が体内に長く残っているといった感じの悦び』だそうだ.

アルキメデスは素敵なことだが,裸で・・・というのは日本人には真似できないもの.
同じ悦びでも,感じ方に洋の東西の違いがあって,ギリシャ情緒の象徴ともいえる「ミロのビーナス」がどう見ても「冷たく人を威圧する」ようなところがあるのに通じている(私にはよくわからん!).
芥川の「ギリシャは東洋の永遠の敵である.しかしまたしても心がひかれる」が思い出される.

「不思議だなぁ」「なんだか良いなぁ」という情緒による理解,「よく分からんが最初と最後だけは分かるよ」という感覚らしい.
これが,西洋にはない,日本的な感覚で理解するということ.

ただし,「日本>西洋」と岡潔が言っているわけではない.
質の違いである.
「自分のルーツは日本である」から,そのように研究する,ということのようである.
常にどちらかであれ,というのではなく,モードを切り替えることも大事だと分かっていらっしゃる.


と思えば,次のような問題発言も・・・

日本の無形の文化から見ると,欧米の有形文化は

  高い山から谷底見れば瓜や茄子の花ざかり

という歌の如し.
(私が言っているのではないですよ!)

支離滅裂??
なんて言っていると,「頭で知的に理解しようとするからだよ」と岡潔に怒られそうです(笑)
禅問答でもやっているような気分になってきます.


岡潔が言うには,ものの見方,理解の仕方など,すべては3層からなっているそう.
不定イデアル」という現代の「層」の理論に通じるものを作り出した岡潔
構造把握には長けていたのでしょうか.
ちなみに3層とは
 ①社会
 ②自然界
 ③法界

①は,自他の別がある世界.
②は,時空の枠のある世界,理性の働くところ,観念の言い表せるところ
③は・・・ここがわかったら苦労しない.
法界のことも言語化したら自然界に移ってしまうような感じかな?

①の分かり方は「知解」
②の分かり方は「情解」
③の分かり方は「信解」で,何が分かったか分からないが,一切が分かった感じ(?).

①→②→③という順を追って理解が深まるというものではない!
むしろ③→②→①という順であることもあるものだ.

庭の花を見るのでも

●知的な見方:
 ダッチ・アイリスが終わってぼたんのつぼみがふくらんでいる.

●感覚的な見方:
 ダッチ・アイリスの葉はみどり,ぼたんの葉もみどり,
 ダッチ・アイリスの花は青,ぼたんのつぼみはやや赤みをおびている.
(これも視覚重視で・・・岡潔はお気に召さない)

これらは①?

●存在感と見る見方:
 自然は確かに存在する.
 目を閉じても,感覚は残る.
 まざまざとした実感を伴って.

これが②だろうか?
大自然」の上っ面としての「自然」を見ている,というような説明があった.

●情緒と見る見方:
 花はいいなぁ.
 なぜそう感じたのかは知らないけれど,いいなあ,と感じている.


岡潔にとっての数学研究は,情緒を数学という形に表現すること.
けれど,どのようにして表現しているか,というところは分からない. 
無意識に大自然(自然を自然たらしめているもの)の理法を悟っているから.
大自然の理法は,とうてい人の力のおよばないことだし,大自然が勝手にやってくれるから任せておけばよい.
人がしなければならないことは,「情緒をきれいにすること」だけだ.
情緒は,「いのち」の一片だと思っているのだ.

ちょっと宗教じみてきました.
仏教に傾倒していたという岡潔
次はその辺に進んでいきそうです.

空間内でのちょっと変わった方程式を考えてみました

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空間内で1つの方程式で表されると・・・

 x^2+y^2+z^2=1 …球面

 x+y+z+1=0   …平面

 x^2+y^2=1   …円柱

と,曲面になります.
3次元内で1つの式は,曲面.
2つを連立すると,曲線.

 x=y=z     …直線

は,原点を通り,(1,1,1)方向の直線です.
これは

 平面x=y と 平面y=z

の連立によって得られていると考えることができます.
つまり,平面2つの共通部分として,直線を表現しているのですね.
曲線は,曲面2つの共通部分!

では,今回の方程式は?

ヒントの形から,

 (x^2+y^2+z^2)^2+2xy+2yz+2zx-(x^2+y^2+z^2)+1=0

と変形できるわけですが・・・

 2xy+2yz+2zx+x^2+y^2+z^2

なら,

 (x+y+z)^2

とできるのですけど.
この形を作って変形すると,

 (x^2+y^2+z^2)^2+(x+y+z)^2-2(x^2+y^2+z^2)+1=0

となってしまいます.

ということは?

 (x^2+y^2+z^2)^2-2(x^2+y^2+z^2)+1={(x^2+y^2+z^2)-1}^2

と完全平方式になりそうです!

よって,元の方程式は

 (x^2+y^2+z^2-1)^2+(x+y+z)^2=0

と変形できました.

2乗の和が0と言うことは?

 x^2+y^2+z^2-1=0 かつ x+y+z=0

つまり

 球面:x^2+y^2+z^2=1 かつ 平面:x+y+z=0

となるから,「円」を表しています!

空間でも1つの式で曲線を表すことができるのですね!
平面で

 (x-1)^2+(y-3)^2=0

という方程式が1点(1,3)を表すのに似ています.

これを応用すると,空間内で色んな曲線を1つの式で表すことができる可能性がありますね.
ぜひ色々と考えてみてください.
面白いのがあったら,インスタかFacebookでコメントくださいね.

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「数学する人生」岡潔著・森田真生編 ② =数学をやる理由=

「数学は情緒」で有名な岡潔についての本.
一回読んだだけでは,やっぱりあまりよく分からない(笑)
言葉にする方が理解が進むと思い,私が感じたことをブログに書いています.
何回になるか分からないですけど,今回が2回目です.

 

自分にとってはよく分からない,ギリシアに起源のある西洋文化だから,数学をやっていた!?

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岡潔が「なぜ数学をやるのか?」に答えているところがありますが,そこが面白い.
要約すると「西洋のものはよく分からんから」ということのよう(笑)
 

松尾芭蕉を日本の情緒をもっともよく理解して表現した人と評価している岡潔は,俳句も好きだったようで,多くの解説を書いているようです(はい,私には,さっぱり分かりません!).
日本,もっというと東洋の情緒に通じることは非常に容易で,日本のことを勉強して理解できたときに『何だ、このことだったのか、それなら始めからよく知っていたのに。早くそう言ってくれれば良いのに。』という気になるそう.
『すでに知り抜いているということをまた勉強するばかはない』

一方で西洋は違う.
『西洋のものはいくらやっても、やったところまでしかわからない。』
『これがたぶんそのために数学をやったのだろうと思うほんとうの理由と思うのです。』

何とも興味深い.
道元禅師は『魚に魚がわかり、コウモリにコウモリがわかるように、スミレにスミレがわかるのだ』と言っているそう.
どちらも情緒だけれど,西洋のラテン文化はレンゲで,日本・東洋文化がスミレみたいなもの.

芥川の言葉を借りると『ギリシアは、東洋の永遠の敵である。しかしまたしても心がひかれる』だそう.

写真は我が家にある西洋の品.
古代ギリシャの金のイヤリングに,古代ローマのフレスコの残欠,サイコロ,ゲームの駒,アストラガルス.
👉

2000年前のサイコロとは? - yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー

私は,日本刀や考古遺物を中心として,古美術にとても惹かれます.
その理由の1つは,分からないから.

美しさという言葉にならないものを感じながら,悠久のときが物質に及ぼした影響に思いをはせ,風化していく過程として切り取られた「いま」のモノが私の目の前にある.
そういうのが魅力なのですよね.

「西洋の科学は大自然のことが分かっとらん」と岡潔は主張しますが,古美術に対する西洋人の態度にもそのような様子が現れています.
モノを買うときには,時代を保証するエビデンスを求めるのだとか.
有機物ならC14による年代測定.
焼き物などは,熱ルミネッセンスといいう方法(鉱物に高温を加えると,それまでに蓄積された宇宙線放射線がリセットされるそうで,蓄積線量から最後に高温が加えられた時期を特定する方法).
素材の組成を調べるには,蛍光X線
科学的エビデンスのために,古美術品に穴を開けて資料を採取することが平気な人たち.
日本の陶磁器学者さんも同じような研究立場だそうです.

そんな話を聞くと,何だかなぁ,と思ってしまいます.
西洋と東洋.
違う情緒,違う木の葉.
そんな気がします.
私は岡潔と気が合うかも(笑)

 

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「数学する人生」岡潔著・森田真生編 ①

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 「数学は情緒」で有名な岡潔
その「最終講義」「留学時の話」「エッセイ」などを集めた本で,森田さんの解釈が分かりやすいですが・・・
一回読んだだけでは,やっぱりあまりよく分からない(笑)

言葉にする方が理解が進むと思い,私が感じたことをブログに書いていこうと思います.
何回になるか分からないですけど.

「情緒」って何??

辞書的には

1 事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。「情緒豊かな作品」「異国の情緒があふれる」「下町情緒」
2 「情動」に同じ。「情緒不安定」

となっていますが,岡潔は別の意味で使っているようです.
そのことを知らずに「数学は情緒」という言葉だけ聞くと,「情緒」という言葉が独り歩きしてしまう.
とはいえ,岡潔も明確な言葉で定義していません.
「理解」するものではなく,「体得」するものだと言いたいようです.

目に見えるものを「知的に理解」することを重視しがちですが,実は「情的にわかる」というのが基礎にあって,分からないものに関心を集めているときには既に情的には分かっている.

なんのこっちゃ?

秋になると畑にはカボチャが実ります.
その事実は目で見てよく分かります.
自然ってすごいな,と思います.
でも,本当にすごいのは,カボチャの小さな種に,芽を出して,茎をのばし,花を咲かせ,実をつけるというストーリーがすべて組み込まれているということ.
そんなもの,人に作れますか?
カボチャにはカボチャの主宰性があって,それが働いている.
人には人の主宰性.
自然を自然たらしめているものを「絶対的な自然」という意味で「大自然」と呼ぶ,と彼は言っています.
人類という大きな木の1枚1枚の葉が個人で,主宰性や絶対的な知恵は,大きな木を通してみんなで共有している.
そこで働くものが情.
情を通じて,自他の区別はなくなる.

岡潔は,情の個別の部分を「情緒」と呼んでいるようです.

 数学に数学の主宰性.
 数学は情緒.

絶対的な法界というところに数学はあって,人はそれに情緒を使ってアクセスしている.
新しい発見のときに「懐かしさ」を感じるのはそういうこと.
ただし,懐かしさとは,「生きている喜び」.
幼児が自覚的でなくただ何となく幸福なのと同じ感覚.

確かに,岡潔のレベルでなく,私のレベルであっても,ひたすら考えてスッと分かってしまうとき,一瞬で頭の中で流れが見えるし,すでにそこにあったような気がするし,懐かしさを感じる気がする.

知的に分かり,知的に伝わるような形式(解答や論文)にまとめることが数学ではなく,「数学は情緒」なんですね.
知的部分は,単なる作業と言えるのかも知れません.

何となく,こんなことを書いているような気がしますが,よく分からないです(笑)

岡潔のビジョン体験とまでは言わなくても,情緒体験くらいは数学教育を通じてさせてあげたいものですね.

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「3が偶数ならば,2は奇数?2は偶数? どっちが“真”?」

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偽なのは,

 2が偶数ならば,2は奇数である

の1つだけ!

何ででしょう?

高校数学では扱わない部分ですが,踏み込んでみましょう!

いきなり結論ですが

************

命題p,qについて,「p→q」が“真”になるのは

 p,qがともに“真” または pが“偽”

のときです.

************

ピンときにくいかも知れませんから少し説明.

「p→q」が“偽”になるのが

 pが“真” かつ qが“偽”

のときと分かってもらえたら,この「否定」を考えると良いでしょう.

「p→q」が“真”は

 「pが“真” かつ qが“偽”」でない

は,

 「pが“真”でない」 または 「qが“偽”でない」

と言い換えられ,

 「pが“偽”」 または 「qが“真”」

となります.
まとめると,「p→q」が“真”は

 「pが“偽”」 または 「qが“真”」

で,それは

 p:真,q:真 …真

 p:真,q:偽 …偽

 p:偽,q:真 …真

 p:偽,q:偽 …真

ということ.

 p,qがともに“真” または pが“偽”

と整理できます.


ということで,

 命題「3が偶数ならば,○○○」

に話を戻しましょう.
命題「3が偶数」が“偽”だから,命題「○○○」の真偽によらず,

 命題「3が偶数ならば,○○○」

は,必ず“真”です.だから,

 3が偶数ならば,2は奇数

 3が偶数ならば,2は偶数

のどちらも,命題としては“真”です.
じゃあ,

 2は奇数なの??

そういう意味じゃないですよ!

 「p→q」が真

から「qが真」は導かれません!

 「p→q」が真 かつ pが真

が分かって初めて「qが真」を導くことができます.

「ならば」の命題の真偽から,その前後の命題の真偽は1つには確定しないのですね.

もちろん,

 2が奇数ならば,2は偶数である

という命題も,全体としては“真”ですね.

 2が偶数ならば,2は奇数

だけは,

 2が偶数…真
 2は奇数…偽

だから,全体として「偽」です.

ちょっとややこしかったですかね.
高校数学でおろそかになっているけれど大事な部分なので,よく理解しておいてもらえたら良いと思います.

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どんな変数に関する条件になっていますか? -数学の答案の書き方について-

何となく解けているだけになっている人,けっこう多いかも知れませんよ.

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では,行間をすべて細かく見ていくことにしましょう.

まず,本問は,実数aについての条件:

 「y=x^2に(0, a)から2本の接線を引ける」‥‥(*)

を「aの範囲」に書きなおす問題です.

論理構造をしっかり見ていきましょう.

(*)は

 「y=x^2の接線で(0, a)を通るものが2本存在する」‥‥(*)

と言い換えらえれます.
この前半部分

 「y=x^2の接線lが(0, a)を通る」‥‥(#)

は,集合{y=x^2の接線l}と集合{実数a}を全体集合として,接線lと実数aに関する条件です.
そして,(*)は,

 「条件(#)を満たすlが2個存在する」

になります.
(#)で変数だったlは,「2個存在するか?」と考えられる対象となり,この時点で変数ではなくなります.
だから,(*)はaのみに関する条件です.

次に,接線lの話だったのが,tの話に変わった部分を考えます.

接線lがy=x^2に接する点を(t,t^2)とおきます.
つまり,

 f:{y=x^2の接線}→{実数}
 f(l)=t(ただし,tは接点のx座標)

という関数(写像)を考えると,接線全体の集合と実数全体の集合の間に,対応をつくることができます.

 l:y=2tx-t^2

です.
これにより,接線lと実数aに関する条件(#)を,実数t,aに関する条件

 「a=-t^2」‥‥(%)

に書き換えることができます.

ここからは上記と同様です.

 「(%)を満たすtが2個存在する」‥‥(*)’

を考える時点で,tは変数でなくなり,(*)’は,aの条件になっています.

こう考えると,この解答はかなり高度な内容ですね!
本当にちゃんと分かっていましたか??

よくある!? 同値記号の誤用 ―数学の答案の書き方について―

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kに関する条件p(k)は,kに数値を代入するごとに命題になり,真偽が決まるのでした.

 p(1)は真,p(2)は偽,・・・

という感じです.

ある日本語を条件に付け足すと,命題に変わります.

1つ目:

 すべてのkについてp(k)が成り立つ

2つ目:

 p(k)を満たすkが存在する

いずれも,kに値を代入するごとに命題になるものではなく,真偽の決まる文,つまり,命題になっていますね!


1つ目:

 p(1)もp(2)も,・・・すべて真か?

2つ目:

 p(1),p(2),・・・の中に,真になる命題はある?


いずれもYesかNoで答えるもの(命題)になっています.


「3点A,B,Cが同一直線上」というA,B,Cの条件と同値になるのは

 1つ目:

  すべてのkで,ベクトルAB=k×ベクトルACが成り立つ

 2つ目:

  ベクトルAB=k×ベクトルACとなるようなkが存在する

のどっち?


そう,2つ目ですね!

  異なる3点A,B,Cが同一直線上にある

 ⇔ ベクトルAB=k×ベクトルACとなるようなkが存在する

と書いてあれば,何も問題はありません.

ただし,「異なる3点A,B,Cが同一直線上にある」という状況を説明しているだけで,「実際に3点が同一直線上にある」と分かっているのではありません!
条件と情報は違うのでしたね.
   👇

「から」じゃないですから! ~数学答案の書き方について~ - yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー

「から」じゃないですから!② ―数学の答案の書き方について― - yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー

 

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「から」じゃないですから!② ―数学の答案の書き方について―

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私が書くなら,次のようにします.

【解】
(t,t^2)[ を接点とすると接線は ・ における接線は ]

  y=2tx-t^2 …①

(0,a)を通る[ 条件は ・ から ]

  a=-t^2 …②

②が異なる2つの実数解をもつ[ 条件は ・ から ]

  a<0  ■

ですね.

2本の接線が存在する条件は,接点が2つ存在する条件(実際に存在するかどうかは不明).
存在するかどうかを議論すべき接点を,置いてしまうのはどうかと思います.

だから,「における接線は」で,細かいことは考えずに接線の方程式①を作っておきましょう.

(0,a)を通ることが分かっているのではなく,通る「条件」を考えたいのだから,「条件は」ですね.
②は,“文字a,t”に関する「条件」です.
x,y,tの式①がx=0,y=aで成り立つ条件だから,x,yが消去されて,a,tだけの式②になったわけです.

この条件②を満たす「実数tが2つ存在する」ことが,“文字a”が満たす「条件」です.

だから,②が異なる2つの実数解をもつ「条件」を考えます.
これは,tを消去するということで,“文字a”に関する「条件」になります.

「細かいところばかり気にしていると答案を書けなくなってしまう」という声もあります.
仰る通り!
でも,ある程度は答えが出せるようになってきたら,こういうところにも意識が向くようになると良いですね.
だって,ちゃんと意味が分かって解いていたら間違えないですから(笑)
「細かいところを気にし過ぎ」と感じてしまう人は,解法当てはめで何となく答えが出ているだけで,「なぜこれで答えなの?」と聞かれても明確には説明できないかも知れません.
「だって,そう習ったもん」は理由じゃないですからね.

せっかく数学をやるのだから,正しく判断できる人になって欲しいな,と思います.
少ない道具で戦うための必須のスキルだと思います!
(あきらめて,参考書を丸暗記しても良いですけど・・・いや,無理でしょ)

数IIの思考・判断・表現力トレーニングと言えば,コレ!


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