私の答えは,①のみ△,②③は×です.
②③のような文を見かけることがあって,それがダメな理由を如何に説明できるか,と考えました.
<①②③の主張の根拠>
1)この関数は,x=0,-1,1でy=0という値を“とる”ことが分かります.
2)x=-1で極大値0,x=1で極小値0であるから,0という“yの値”は,「極大値」であり,しかも,「極小値」でもあります.
3)y=0という“yの値”は,この関数にとって,「極大値」であり,しかも,「極小値」でもあります.
4)1)で「y=0」を「極大値」と書き換えると・・・
5)x=0で「極大値」という値を“とる”
6)x=1で「極大値」という値を“とる”
極値を「山や谷の“yの値”」という風に,値としてだけ見ていると,①②③のどれも正しいことになります.
でも,違和感がありませんか?
極値の定義は実は色々とあって,それらの比較はまた後日やることにします.
今回は,一番素朴な定義を採用しておきます(高校数学での定義).
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連続関数f(x)がx=aの前後で,減少から増加に転じるとき,f(x)はx=aで“極小である”と言い,f(a)を極小値という.“このとき”,x=aで極小値f(a)をとる,とも言う.
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“このとき”に,「x=aで極小値をとる」というのです.
“このとき”以外には,「x=〇で極小値をとる」とは,言わないのです.
極値というのは,結果的に「yの値」ですが,実際は,極値になる点,つまり極値点(a,f(a))を求め,そのy座標を考えていることになります.
だから,「極値をとる」というのは,「そのyの値をとる」という意味ではないのです.
①x=1で極小値0,x=-1で極小値0をとる.極値点のyの値として,0は極大値でも極小値でもある.しかし,こう書くと誤解を生みかねない.「極大値0となるx=-1があり,極小値0となるx=1がある」という捉え方をすべきでしょう.正しくないとは言いにくいですが,
②『「極値をとる」「y=0は極値だ」だから,「極値をとる」は「y=0をとる」と同じ意味で,「x=0でも極値をとる」』と言える,という主張です.もちろん,ダメですね.
③も②とほぼ同じ理由で,ダメです.
『「極大値をとる」「y=0は極大値だ」だから,「極大値をとる」は「y=0をとる」と同じ意味で,「x=1でも極値をとる」』と言える,という主張です.もちろん,ダメですね