yoshidanobuo’s diaryー高校数学の“思考・判断・表現力”を磨こう!ー

「大学への数学」執筆者・吉田信夫の数学探求ブログ(共通テスト系問題の研究報告)

【確率に関する妄想】 サイコロの7の目が・・・の確率

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「だって,7の目は無いじゃん」を認めたら楽になりますよ,という話です.
(真面目な補足も最後に追記しておきます)


『1~6までの目が等確率で出るサイコロを振るとき,7の目が出る確率は?
 ① 0
 ② 定義されない
どっち派ですか?』


数学の先生の多くの方は,①派でした.
(私は②なんですけど・・・)


私は,「出目が7である確率」なら,0と迷わず答えます.
存在する「出目」というものが,7という数に「ならない」,だから何も問題ない.


でも・・・

存在しない「7の目」が主語になると??
「目」に対してあり得そうな動詞「出る」「出ない」が付くと,「7の目が出ない」が必ず「起こる」気がして,余事象を考えても,何も気にならない.

でも,「ご飯を食べる・食べない」に変わると・・・
どっちの確率も1だ,と思うこともできるかも知れませんね(笑)


『1~6までの目が等確率で出るサイコロを振るとき,7の目が出る確率は?』


私の結論は,「問題不成立」です.


ちなみに・・・

①とするには,拡大解釈することで実現できます.
例えば,試行を変える.


「整数を1つ選ぶのに,サイコロを振って出目を使う」という試行において,
1~6は確率1/6で選ばれ,他の整数が選ばれる確率は0.


本来の試行では考えにくいときに試行を変えるのは,よくやることです.
(「区別がつかない赤玉2個,白玉3個が入った袋から,2個を選ぶ」とき,区別をつけても同じ確率が求まるから,「玉に区別をつけて選ぶ試行に変える」)


上で,「私は,「出目が7である確率」なら,0と迷わず答えます.」と書きました.
これは,本来の試行での全事象は

 {1が出る,2が出る,3が出る,4が出る,5が出る,6が出る}

ですが,確率変数Xとして「出目」を考えるとXの取りうる値は

 {1,2,3,4,5,6}

です.
X=7となる確率は0,と述べても全然気にならない.
でも,架空の「7の目」を主語にすると・・・述語が「ご飯を食べる・食べない」になるとイミフメイなことに.
ご飯の話は,拡大し過ぎなんでしょうか(笑)


真面目な話.
拡大解釈するとしても,その方法はいくつもあります.
同一視,試行の変更,全事象の変更,全事象の外にある大きな集合を想定,などなど.


これらを総合すると,おそらく,こうなります.


あらゆる試行を考えて,その結果として起こる出来事をすべて集めて,「究極の全事象」を作ります.
そこで考えるのが「究極の試行」となるわけです.
あらゆる試行,それに伴う全事象や事象は,「究極の全事象」の部分集合となっており,あらゆる確率は「究極の試行」における“条件付確率”と見なすことができます.


【注】
確率0の事象が大量発生,と見ることもできますが,「同様に確からしい」という概念が消えてしまうので,条件付確率が良いかな,と思います.


すると,「7の目が出る」は,8面体サイコロの試行としてあり得るから,「究極の全事象」には含まれています.
そう考えると,「サイコロを振る試行を考えるとき」が,条件付きっぽさを醸し出しているように見えてきます.


「そんな大きな枠組みで確率を考えている」と見なすか,「だって,7の目は無いじゃん」と思うか(笑)

でも,「究極の全事象」を考えると,“集合全体の集合”などの集合論パラドックスを引き起こすようなものが含まれてしまうような気もします・・・


∴「だって,7の目は無いじゃん」を認めたら楽になりますよ


もともとは,初心者向けの空事象の例として「サイコロを振って7の目が出る」は適当だろうか?と考えていたのですけど,その面影もなくなりました(笑)
でも,面白かったからOK!?

私の妄想にお付き合いくださった奇特なお方,ありがとうございました.

<補足>
これは,確率ではないので,そもそも完全に無意味です.
サイコロを投げる試行での全事象は{1の目が出る,…}ですから.
そして,事象は,これの部分集合で,確率は事象に対して定義するものですから.

無理やり確率にするなら,上に書いた「究極の全事象・試行」をベースに条件付確率を考えることになると思います.
だとしたら,1の目がご飯も7の目がご飯も,ぜんぶ0です.
食べても食べなくても,ぜんぶ0です.

これを,命題のはなし(命題p,qで,pが偽の命題のとき命題「p→q」は真)と関連付けようとされるかも知れません.
しかし,それはできないと思います.

つまり,象徴的に,
「サイコロの目がご飯を食べる→どんな確率も1である」
「サイコロの目がご飯を食べる→どんな確率も0である」
「サイコロの目がご飯を食べる→どんな確率も2である」
などがすべて真である,という風に考えるのは,ちょっと無理があると思います.

あるいは,「7の目がご飯を食べる」を「7の目が存在するならば,7の目はご飯を食べる」という命題であるとみるのも好ましくないと思います.
これを認めると面白いですが,すると「7の目が出ない」確率は1になるので,私としてはウェルカムではありますが(笑)

 

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